新訳「キリスト者の自由 聖書への序言」マルティンルター著 石原謙訳 岩波文庫
※本の概要
「キリスト者の自由」は福音主義の信仰の真髄を明らかにしたもので、ルター(1483-1546)のいわゆる宗教改革的論文中の珠玉の1篇である。
小著ではあるが、ここには「キリスト教生活の全体」が含まれている。
同じく改革思想史上の基本文献として、ルターが全生涯をかけてなしとげたドイツ語訳聖書の序言3種を収めた。
※表紙抜粋
物語小説ばかり読むのもなーと、「世界のエリートが学んでいる 教養書必読100冊を1冊にまとめてみた」とかいうアホっぽいタイトルだけど、かなり楽しく読める本で紹介されていたので、読んでみた。
しばらくは教養書として、この本に紹介されている本を読むことにします。
最初に、簡単に著者の紹介をします。
♤マルティンルター
1483-1546年。
ドイツの神学者、教授、聖職者、作曲家。
ローマ・カトリック協会から分離し、プロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である。
ローマ教皇が贖宥状(または免罪符とも言う。あらゆる罪が許されるという怪しいお札。)を売り始めたことに反対し「95ヶ条の論題」を発表。
これをきっかけにカトリック協会との断絶が決定的となった。
☆ネタバレ(箇条書き、キリスト者の自由のみ)
1.①キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
②キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。
この矛盾する2つの命題を理解するには、キリスト者は何人も霊的(魂)と身体的(行い)との両性質をもっていることを知らなければならない。
2.キリスト者とは、魂にキリストへの信仰心以外持ってはいけない。
信仰心は、すべての恩恵と義と平和と自由を約束する。
だから、いかなる善行も必要としない。
善行によってキリスト者になろうと思うなら、すべてのものと信仰を失うだろう。
3.聖職者階級と呼ばれる少数が祭司であるというのは道理に合わない。
キリスト者はすべて祭司であるので、何の差別も認めていない。
4.良い正しい人が善行をなす。
悪い人が悪い行為を生ずる。
人格を良くすることは信仰をほかにしては何人も不可能であり、不信仰のほかに何人も人格を悪くする者はない。
5.キリスト教の使徒パウロによると、人は信仰においてみち足り、そのほかすべての行いも生活も余分であり、まったく自由な愛からおのが隣人に仕えるために行いや身体を用いるべきであるとしている。
隣人を助けることの外に何をもなすべきではないのである。
6.結論。
キリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生活する。
それこそキリスト教的な自由である。
♡感想
なんかめちゃ難しかった。
いやもうでも正直言うと贖宥状みたいなのって宗教みんなありそうだよね。
実は昔、うちの実家は某学会に入会していたのだが(今は抜けてる)、財務とかで金払えとか新聞契約しろとか選挙はこの党に入れろとか会長万歳とか、宗教とは全然関係ない団体だったなあ。
その点プロテスタントは聖書に基づいてる分良い宗教なのかもしれない。
個人的には、とにかく信仰心が大事!!みたいな考え方は好かんのだけど。
まあ、なんていうかすごく読みにくかった。
何回か読んだし。
未だに①と②の矛盾がどう説明されたのか分かってないし。
いや結局この2つって矛盾してますよね?他の言葉に言い換えた方が良いんじゃないですかね?って感想である。
分かる人是非教えて下さい。
読んでない人は文章は短いので読んでも良いと思います。